営業こぼれ話 その1・広告デザインの「合成の誤謬」

2019年02月19日

最近WEB広告を見ていて感じるのは、インターネットって本来は自由度の高いものじゃないのか、という反語的疑問です。つまり、現実に目の当たりにするWEB広告は、インターネット本来のアドバンテージを活かせず、むしろあまりに等質的・画一的になりすぎてはいないか、ということです。

たとえば、予備校・進学塾のWEB広告。

規模の大小を問わず、予備校のHPを見ると、ほとんどのメイン・イメージ写真は「女子生徒」が飾っています。しかも「キリッと凛とした女子生徒」です。いかにも上昇志向がありそうな、それでいてガツガツした感じはなく、もちろんそこそこの美人。絶世の美女、ではなく、そこそこの美人。不良感は微塵もなく、髪色から指先に至るまで落度のない、言ってみれば、おそらく現代の女子高生においては絶滅危惧種と思われるような(=限りなく少数者)タイプです。そういう意味では、アイコン的な造作物イメージ、と言い換えても差し仕えはないでしょう。男子学生はまずいないのです。

たとえば、開業医院のHP。

近畿エリアだけでも毎月20カ所近く新規開業されている個人医院のHPを見ると、ここ1・2年で急に増えてきた傾向ですが、HP全体の色調が淡いパステルカラーです。そのうえ、さらに紗の入ったボカシを加え、きわめてソフトで優しいイメージを前面に押し出しています。それはスクリーンだけに留まらず、個人医院にとってはもっとも大切な情報とも言える病院名にまで及んでいます。ひらがな表記の病院名が雨後の筍のように増殖中なのです。「山田医院」ではなく「やまだクリニック」。「心療内科」ではなく「こころとからだのクリニック」。これらはまさに、ひらがなの持つ柔らかさを狙ったものでしょうが、故意に読みにくくしているのではないか、と深読みしたくなるほどの徹底ぶりです。そしてお決まりの、院長先生の顔写真。もちろん温和で、人のよさそうな、満面の笑顔のアップです。

ここまで判で押したようにワン・パターンになるのは、一体どうしてなのでしょう。

上の例に限らず、HPを開設されるクライアントには、ほとんどの場合、制作会社なりコンサルタントなりが付いています。そして立派なHPを完成させるまでの過程で何度も打ち合わせを行い、妥協することなく最良のものを目指しています。ただ、この「最良のもの」がクセモノです。ピッグデータの時代、どんなものでも情報のフィードバックが背後にあると、ついつい「最良のもの」=「多くの人がもっとも好むもの」=「限りなく万人受けしそうなもの」に傾きがちだからです。すると、個々のクライアントは最良のものを作ったつもりでも、結果的には没個性で画一的なものになってしまう、という皮肉なことになります。

もちろん、その背景には日本人特有の「事なかれ主義」や「同調圧力回避のリスクをとらない傾向」があるのかもしれません。また、情報ネットワークが加速度的に広がっていく最中にあっては、マクロ的な情報の等質化は不可避的なのかもしれません。しかし、いずれにしろ、広告にとっては一義的に優先されるべきオリジナリティー、あるいは競合他社との差別化、といったものがなおざりにされています。

これも、広義の「合成の誤謬」と言えるでしょう。